「平和の塔」(旧「八紘一宇の塔」)


 宮崎出身で宮崎に就職した大学時代の同輩が結婚するという事で、結婚式と披露宴に出席するために一路宮崎へ・・・。
(徳島市内まで自家用車を走らせ、高速バスで神戸三宮、三宮から伊丹空港のシャトルバスに乗り、伊丹空港から空路宮崎空港。)

 空港に同輩の出迎えがあり、ホテルに荷物を置いて美味しいお店でのお食事。ほろ酔い気分で同輩のお宅にお邪魔して窓の外を眺めると・・・、山の頂上に何やら見覚えのある建造物が建っているじゃないですか。思わず「八紘一宇の塔?」と訪ねると、「うーん知らない。平和の塔だよ。」。日が暮れかかっているが、折角だから見に行こうという事になって、同輩の車で数分かけて「平和台公園」に到着。


 日本近代史に興味のある自分にとっては予想外の出来事。本当に偶然であるとはいえ、この塔を巡る歴史の変遷を考えれば感慨深いモノがありました。同輩に尋ねても、この塔の歴史についてはあまり詳しくは教えてもらっていない様子。しかし、遠足では度々訪れているとの事。
 「八紘一宇」は侵略戦争のスローガン・隠れ蓑とか言う人もいますが、現実に東南アジアを白人による植民地支配から解放することを心から願い、命をなげうって実現させた日本人がいた事も厳然たる事実です。歴史は一断面では判断できません。歴史は立体的で多面的であるという事と、現代人では分からない一般的常識であったその時の歴史観等々、ややこしい問題がたくさん出てきますので、この辺で・・・。

 
 
 
(すべての写真は携帯のカメラで撮影しました。)

<豆知識>
 「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が正式な名称。紀元2600年の記念事業として昭和14年5月に着工、昭和15年11月に竣工。また、「八紘一宇」という言葉は、神武天皇が橿原で即位された時の勅語の一節「八紘を掩いて宇と成さんこと亦よからずや」という建国の理想から。戦後、様々な変遷を経て現在に至っている。ちなみに 昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーは、この「平和台公園」がスタート地点。

 詳しくは右記WebSiteで・・・。 ~八紘一宇の塔

 
 余談ですが、明くる日に結婚式場の近くにある宮崎神宮にお参りに行きました。
 祭神は初代天皇である神武天皇・神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコ)、 配祀は神武天皇の父である草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、母である玉依姫命(タマヨリヒメ)です。宮崎神宮と改称されたのは明治以降なのですが、造営された年代はかなり古いようです。神武さまと呼ばれて宮崎市民に親しまれています。

詳しくは右記WebSiteで・・・。~旧官幣大杜 宮崎神宮(神武さま)

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