慰安旅行 於京都


(平成17年11月25・26日)
 慰安旅行の1つのコースが「京都自由行動」であり、京弓師の柴田さんの所へ行こう!ということで、初めて慰安旅行に参加しました。

 当日、弓を2張りバスに乗せて職場を出発し、約3時間後に京都駅前に到着。早速柴田さんの元へ・・・。これよりはちょっと京都へに記してあります。 さて、京都行のメインイベントとを終えてホテルに戻りました。ひとっ風呂浴びて宴会会場へバスにて移動。京料理を少しづつ美味しく(!?)頂きました。宴会がお開きになった後は、ホテルに戻りゆっくりしようと思っていたのですが、ひょんな事からライトアップされた清水寺周辺に行くことになり、夜の京都をぶらぶら散策。豊臣秀吉の正室である「北政所(ねね)」さんの高台寺に行くことになりました。さすがに京都と思わせる趣向を凝らせたライトアップに感激。単なる真竹の竹林であっても趣向を凝らせばあの美しさ。感心しきりでした。お昼と全く違う清水周囲を体験できたことは大変良い思い出です。その後は、またお酒を飲んで京都をぶらぶら・・・。ホテルに帰ればバタンキューでした。
→「秀吉とねねの寺」 鷲峰山 高台寺

 京都2日目。午前中に、みんなに内緒で京都駅から新快速にて大阪駅に。
京都駅外観( JRおでかけネット)


 
そして、阪急梅田駅から十三駅に行って大阪の有名弓具店へ。なかなか弓具店へ行けないので小物を色々と購入し、そそくさと大阪を後にします。ちなみに京都の柴田さんのお店には京弓しか置いていません。

 京都に舞い戻り、昼食も取らずに蓮華王院(三十三間堂)にバスにて移動。以前にも訪れたことがありますが、一人で行くのは初めてです。ここぞとばかり三十三間堂裏の軒下を写真撮影。満足する資料・写真を手に入れることが出来ました。

(三十三間堂正面)

(三十三間堂裏)
 
この三十三間堂では通し矢と呼ばれる、お堂裏の軒下の端から端まで射通す競技が江戸期に大流行し、各藩が名誉を得るために大いに競い合いました。様々な人間ドラマがあったことは言うまでもありません。矢が誤って当たってしまうと思われる箇所は鉄板に守られ、軒には多くの矢が刺さりボロボロになっています。また、この通し矢と京弓師の柴田さんは密接に関わっています。詳しくは別のページで紹介しようと思っています(いつかは未定)。

  三十三間堂を後にして、「にしんそば」でも食べに行こうとぶらぶら歩いていると、ふとしたことから観光看板に目が・・・。地図からは「豊國神社」が近くにあるとのこと。秀吉には少々思い入れがありますので、早速足を豊國神社に向けました。暫く歩いていると方広寺大仏殿遺構の説明文・・・。

まさかあの豊臣家に激震をもたらした「国家安康君臣豊楽」の大鐘のある方広寺が豊國神社の近くに・・・?その通りでした。すぐにその大鐘も見つけることが出来ました。

「非常に大きい・・・。」、その一言に尽きます。あの「国家安康君臣豊楽」の刻文も確認できました。 そして豊國神社々殿へ向かいます。秀吉が亡くなった後に全国に建立された豊国大明神は徳川家によりすべて取り壊されましたので、京都の豊國神社は明治13年に造営されたものです。伏見城の城門の一つを移築した国宝の参道の立派な唐門から参拝しました。


 
ちなみに徳島県小松島市にも豊國神社が存在します。しかし、この豊國神社も明治期に復活させたモノですが・・・。初代の阿波豊国神社を造営したのは蜂須賀家正で、それも関ヶ原の合戦が始まるほんの2ヶ月前に建立。様々な思いがあったのでしょうね。ちなみに蜂須賀家正は墨俣の一夜城築城で有名な蜂須賀正勝(小六)の息子で、初代阿波藩主・蜂須賀至鎮の父に当たります。
豊國神社
幻の方広寺大仏
阿波藩の殿様 蜂須賀家政をたどる(JRT)
 結局、昼食の時間がとれずに集合場所である京都のホテルに舞い戻ることに。しかし、「にしんそば」を食べたいという思いが頭から離れず、京都駅地下街のそば屋で遅い昼食をとりました。なかなか美味しかったですよ「にしんそば」。そんなこんなでホテルに帰着。そして、バスに乗り込み京都を離れていくのでした。本当に好き放題の京都旅行でした。
 そういえば京都はちょうど紅葉真っ盛りで、異常なほどの人でした。公共交通機関は人であふれて、紅葉の名所は人混みに揉まれなきゃ、進むことも戻ることも出来ません。私は何故かそんな所には行っていないので全く無縁でしたが、三十三間堂内に美しい風景がありましたのでついついシャッターを切ってしまいました。弓関係で度々京都を訪問することがありますが、京都の町はなんだか良いですね。何が良いのかは分かりませんが・・・。

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