皇居周囲の散策


(平成17年11月17日)
 東京へ行く用事(私用)が出来まして、お金をケチるために高速夜行バスを利用することにしました。徳島駅前PM9:30発、品川バスターミナルAM6:30着の高速夜行バスに乗り一路東京へ。

 東京に到着したのが6時ちょっと前で、まだ東京は眠っていました。大概の施設・会場の営業開始は午前10時・・・、さて何をしようかな?。実は一度、皇居やその周囲を観光してみようと思っていたので、早速実行に移すことにしました。ちょっと古いデジカメをカバンに詰めて皇居に向かいます。
 JR有楽町駅から東京メトロ、昔の営団地下鉄(帝都高速度交通営団)有楽町線で桜田門駅に。階段を駆け上がると、桜田門外の変で聞き覚えのある「桜田門」と皇居の緑と大きなお堀が眼前に広がっていました。
 
(左:朝日を浴びる丸の内と皇居の緑 右:桜田門)

田舎人丸出しで「これが皇居か・・・。」と感心していると、お堀の向こうに見覚えのある建造物が・・・、国会議事堂です。折角だから近くまで見に行きました。国会の正門の前まで行きましたが、正門の門扉が邪魔で仕方ありません。朝から警察が多く見張っている中、職務質問覚悟で門扉の間にカメラを入れて写真を撮りました。その甲斐あってきれいに撮影することが出来ました。

(職務質問覚悟で撮った議事堂正面)

 またその足を皇居の二重橋(一般的に二重橋といわれている橋は石橋が正式名称で、その奥に本当の二重橋がある。)に向けます。桜田門をくぐり、暫く歩いていくと見えてきました見覚えのある風景が・・・。早速またカメラの出番です。

皇居外苑にある「楠木正成像」も見学して、桔梗門を脇に見ながら割と歩きました。そして1つの銅像を発見しました。「和気清麻呂」です。詳しい説明は省きますが、戦前は紙幣の肖像にもなっていた高名な偉人の一人です。少々歩き疲れたので、公共交通機関を利用することにしました。ここまで来ると近くに有名な神社があります。九段北にあるあの神社です。東京メトロ東西線竹橋駅から一駅の「九段下」からちょいと歩くと、そこはそうです靖国神社。
  
(左:楠木正成像 中:奥が桔梗門 右:和気清麻呂像)

 靖国神社の大鳥居をくぐり、大村益次郎銅像を脇目にずいずいと拝殿を目指します。流儀は非常にあやふやながら手と口を清めて神門を通り拝殿に。
 
(左:大村益次郎 右:第二鳥居から神門を臨む)

様々な思いを込めて参拝し、最近出来たパール判事の顕彰碑を見に行きました。色々と考えさせられる顕彰碑です。歴史はその時代に生きている人しか分かりません。後世の人は大概色眼鏡で歴史を眺めていますから、簡単に都合のよい歴史に解釈してしまいます。中国や朝鮮の歴史など顕著な例ですが、王朝が変わる度に歴史が塗り替えられます。都合の悪い歴史は闇に葬られて、都合の良い歴史は表舞台に・・・。歴史を創作することなども頻繁に行われるのです。
 日本では王朝が変わった歴史がなく、日本国が国外勢力に支配された事も有史以来ありませんでしたので、第二次世界大戦(大東亜戦争)の敗北は、中国・朝鮮王朝と同じく、改変された歴史観の押しつけがあった事など考えるに難くありません。このように、歴史という多面的な事象には絶対的な立場ではなく、相対的であり客観的で様々な視点が必要なのです。この点に置いて、極東国際軍事裁判におけるパール判事の意見書は今現在でも大きな意味を持っていると思っています。
(私は歴史観については論議したいと思いません。歴史観の統一など無理な話です。主義主張の違いなど良くあることです。)

 さて、靖国神社を後にして埼玉の千葉弓具店に向かいました。その後の行動は「ちょっと東京へ」で紹介します。一通り弓具店を回り、神田のホテルに3時着。4時にはまたホテルを出発して東京行のメインイベントに出席。イベント終了後の11時ころに居酒屋にて遅めの夕食。ホテルに帰って一風呂浴びて気が付けば朝。8時の新幹線に乗って岡山を目指します(「ちょっと岡山へ」で紹介しています)。

ラダ・ビノード・パール(1886〜1967)
インド・ベンガル州ノディア県にて生誕。
カルカッタ大学法学部教授、インド政府法律顧問、インド高等裁判所判事、カルカッタ大学副総長、極東国際軍事裁判インド代表判事(日本被告全員の無罪を判決)、国際連合国際法委員会委員、昭和41年日本政府より勲一等瑞宝章。
カルカッタにて逝去。

「パール判事意見書の結語」
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう。

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